ノーミソ刺激ノート

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「読解力」が上がるとは何か

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読解力とはなにか

学校で習う「読解力」という言葉ですけど、それは何かって定義されたことがあるでしょうか。

恐らく普通の国語の先生は説明できないと思います。

PISA(ピサ:国際的な学力基準)の定義だとこうだそうです。

 

(1) 定義・ねらい PISA調査における「読解力」は次のように定義されている。

自らの目標を達成し、自らの知識と可能性を発達させ、

効果的に社会に参加するために、書かれたテキストを理解し、利用し、熟考する能力。

(改行はKECがやってます)

 

なんだかよくわからないですよね。

それくらい「もわっ」としてるんですよ。

「言葉」は

 

  • 個人的なもの
  • 社会的なもの

 

この2つがあります。

ですからそういう言語能力を持ちましょうねってことです。

 

自らの目標を達成し、自らの知識と可能性を発達させ

 

というのは考え方の根本は「個人言語」の考え方で、

 

効果的に社会に参加するために、書かれたテキストを理解し、利用し、熟考する能力。

 

というのは「共認言語」の考え方です。

そういう風に個人に任せるんだけど、そうしながらも、社会には参加しなくてはいけないから、社会一般に使われている文章を読めるようにしましょうねってことです。

 

「個人言語」と「共認言語」

「共認~」というのは社会で使われる普通の国語のこと。

「個人~」は自分の中でしか使われない言葉のことです。

 

個人言語が上がることによって自分の中の認識能力、思考力が上がる。

共認言語が分かることによって人の気持ちが分かるようになるんです。

 

しかし両者は離れているわけではなく、常に共存してますから、別個で上がることは無いです。

いずれにせよ言語能力、語彙力なので、それは何によって伸びるかと言えば、本を読むことと作文をすることが一番でしょう。

 

作文はブログでもいいです。

読解力というのは個人と集団の紐帯である言語がわかるということ。

つまり人の気持ちが分かるということです。

 

「人の気持ちが分かる」というのは別に0~100までわかるという事ではなくてあくまで「理解ができる」ということです。

 

本を読めば「心が揺れる」感覚がありますよね。

陳腐な言葉で「感動」と言います。

が、小さな揺れでもいいんです。「気づき」があるはずです。

 

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何でそういうものを感じるかといえば自分の人生の中では感じえなかったことをそこで感じるわけですね。

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人が身一つで感じられることなんかたかが知れています

人一人の人生で感じるものなんて大したものではありません。

それは自分の「身体」という物理的制約があるからです。

読書の効用

しかし本を読めばそういう制約を超えて想像を飛ばすことができるんです。

そういった「想像する」ということが「人の気持ちが分かる」一歩である「気づき」に繋がるんです。

 

「読解力」というのは何を読むのかといえば何も「文字を読む」だけにとどまらないんですね。

「ヨム」は古くは「数を数える」ということも「ヨム」に含まれました。

今でも「数字を読み上げる」などそういう感覚はありますよね。

 

数を数えるという事は世界を分割するということです。

そもそも「分かる」「理解する」の「分」「解」は「わける」という意味です。(「理」は「筋道」という意味)

 

ですから読解力というのは心が揺れれば揺れるほど人の気持ちが分かるようになります。

しかしこの力というのは人としての本来的な、基礎的な力なので向上していることに気づきにくいものです。

 

しかし知らないうちに上がっていて気付いた時には、周囲の人たちの鈍感さに驚くことがあるんですね。

自転車に乗れた時には、乗れない人の感覚が分からなくなるのと一緒です。

 

別に読解力に限ったことではありませんが人の能力というのはそういうものです。

知らないうちに一般的なところからズレている、そういう感覚が向上している証拠です。ですからどんどんズレましょう。

 

しかし「能力を上げよう」と息巻いてやってしまうと「いつ上がったか」が気になってしまって向上の邪魔になります。

いつだって時間を気にするのはその作業が嫌な証拠なのでロクなことはありませんよね。

ですから楽しむことが何よりも大切です。

 

読解力が上がるとどういうことになるかといえば

「行間を読む」

ことができるようになるというのが一つの指標でしょう。

「行間を読む」というのは

 

  • 書かれていないこと
  • 言われていないこと

 

を既に知っている情報を基に「察する」という事です。 

むしろ本当の気持ちは言葉で表せないので、そこを察することで人から喜ばれます。

人から火解されることを人は喜びますからね。

 

大人になって来ると人の気持ちを察することが重要になります。

だから徐々にできるものだと思いがちです。

 

が、大人になってもできない人はできません

そういう人って言葉の使い方や、そもそもの語彙力が乏しい人が多いんですね。

本を読んでいないんだと思います。

 

このように読解力が上がることは、人に

「読解力があるね」

と言われることはほとんどなく、逆に他人の読解力の低さに気づいて自分が人よりも向上していることに気づくんです。

 

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